2022年9月23日 中日・福留孝介選手 引退スピーチ【全文】

【福留孝介選手 引退スピーチ】

福留「松井秀喜さんに勝って初めて首位打者を獲得した時、この世界でやっていけると自信を持てたのを思い出します」

まず初めに今日はこのような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、そして立浪監督をはじめコーチ、選手、裏方のみなさん、そして最後まで球場に残っていただきましたファンの皆様、本当にありがとうございます。

小学生の時に串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに惹かれ、そしてその中にいた立浪監督に憧れ、プロ野球選手を目指してきました。

1998年星野監督の計らいでファン感謝デーに呼んでいただき、後ろにありますバックスクリーンの扉のところから1人で出てきた時、その恥ずかしさ今でも鮮明に覚えています。

その日から僕のプロ野球人生がスタートしました。24年間素晴らしいチームメイト、素晴らしい指導者の下、プレーさせて頂き、その中に佐々木恭介コーチと出会い、打撃を1から作り直そう、そう言って毎日バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま、そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って初めて首位打者を獲得した時、この世界でやっていけると自信を持てたのを思い出します。

その後リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出を作らせていただきました。しかし日本一になったときに自分自身故障でその場所にいれなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。

その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで熱狂的なファンの皆様の声援の中でプレーさせて頂き、そして最後の甲子園球場のときには、ライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。

2年前のドラゴンズに帰ってき、もう一度このユニフォームを着てプレーできたこと、そして自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンの皆様の声援に包まれてユニフォームを脱げる、僕は本当に幸せ者です。

最後に24年間戦い続けることのできるこの体を産んで育ててくれた両親、本当にありがとう。そして1番近くで応援し支えてくれた、カズエ、ハヤト、ハルカ、本当にありがとう。

僕は今日でユニフォームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆さん、これからもドラゴンズのご声援よろしくお願いします。24年間温かいご声援、本当に本当にありがとうございました。

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