谷元「今これを聞いている、見ている背の小さな少年少女、すべての野球人の人へ、夢をあきらめないでください。夢は叶います。応援しています」
大野「ドラゴンズのユニフォーム姿で引退することができる私は本当に幸せ者です」
福田「大好きな野球を中日ドラゴンズで17年間やることができました」
堂上「来年の中日ドラゴンズは必ず強くなります」
(谷元)本日はこのようなセレモニーを開いていただいた中日ドラゴンズ関係者の皆様、監督、コーチ、選手、スタッフの皆様、中日ドラゴンズファンの皆様、そしてお付き合いいただいた読売巨人軍の関係者の皆様、監督、コーチ、選手、スタッフの皆様、そして最後まで残っていただいているジャイアンツファンの皆様、本当にありがとうございました。
私、谷元圭介は本日をもって現役を引退します。思い返せば、小学生の時から野球を始め、小学校、中学校、高校、大学、社会人、プロと続けてきました。いつも整列の時は1番前でした。当時の夢は小さく前倣えをすることでした。そんな僕が中部大学に進学し、当時の監督に「背の小さいことを武器にしろ」その言葉で僕の野球人生は大きく変わっていきました。そしてバイタルネットに進み、当時の三富監督が夢であるプロ野球選手のためにテストを受けて来いと背中を押していただいたおかげで今僕はここに立っています。本当にありがとうございました。
2008年に北海道日本ハムファイターズに入団し、2023年中日ドラゴンズで引退します。梨田監督にはプロ野球選手になるチャンスをいただき、栗山監督には責任と自覚を与えていただき、森監督には地元でプレーする機会をいただき、与田監督には復活することをさせていただき、立浪監督には勝者のプライド、勝利への執念というものを改めて教えていただきました。本当にありがとうございました。534試合154ホールドは僕を使ってくれたこの5人の監督のおかげです。本当にありがとうございました。
今これを聞いている、見ている背の小さな少年少女、すべての野球人の人へ、夢をあきらめないでください。夢は叶います。応援しています。
ちょっとすいません。(メモを確認する)
ここで家族にお礼を言わせてください。親父、プロに入る時、セレモニーをしてもらえるような選手になれと言っていました。俺やってもらったよ。そしておかん、丈夫な体に産んでくれて本当にありがとう。いつも試合に招待しても僕が登板すると、席を立って試合を見ていなかったそうですね。今日ぐらいは見ていてくれたらいいなと思います。そして妻トモミ、あなたの笑顔に救われていました。引退すると報告した時は笑顔でほんとに辞めるの?と言いましたね。でも翌日新聞の記事を見て涙したと聞き、一緒に戦っていてくれたんだなと思いました。本当にありがとう。
そして野球と出会い、野球を通じ、僕と出会ってくれたすべての人に感謝します。ありがとうございました。最後になりますが、15年間本当に温かいご声援ありがとうございました。
(大野)北の大地でプロ野球人生をスタートし、北海道日本ハムファイターズの温かなファンの皆様に育てていただきました。そして小さな頃からの夢であり、憧れでもあったブルーのユニフォームを着てグラウンドに立ち、このドラゴンズのユニフォーム姿で引退することができる私は本当に幸せ者です。もっと上手くなりたい、もっと勝ちたいという一心で15年間戦って参りました。そんな日々に今日ピリオドが打たれます。15年間支え応援してくださったファンの皆様がいたから、今日私はここに立てています。本当にありがとうございました。
改めて感謝を伝えたい方々がいます。9歳から野球を始め、辛く逃げ出したい時、いつでも帰ってきてもいいから自分らしく頑張ってきなさいと背中を押し見守ってくれましたね。その言葉を胸に今日までやりきることができました。お父さん、お母さん、ありがとうございました。いつどんな時もすぐそばで支えてくれた妻へ、ありがとうの言葉では伝えきれることができないほど深く感謝しています。ここ数年思うような結果が出ない中、あなたのポジティブな言葉が私は前向きにさせてくれました。あなたの存在がどれほど大きかったことか、本当にありがとう。愛する子供たちへ、パパ今日も頑張ってねと毎日笑顔で送り出してくれましたね。いつまでもパパの1番のファンでいてくれてありがとう。最後までパパの夢を応援してくれてありがとう。これからはみんなの夢を一緒に叶えましょう。
最後になりますが、本日セレモニーを開催してくださったドラゴンズ関係者の皆様、立浪監督、ジャイアンツ関係者の皆様、お越しくださった中日、ジャイアンツのファンの皆様に感謝を申し上げます。これまで私の野球人生を支え指導してくださった恩師、監督、コーチの皆さん、一緒に戦ってくれたチームメイト、そしてすべてのプロ野球ファンの皆様、15年間本当にありがとうございました。幸せな15年間でした。ありがとうございました。
(福田)まず初めにこのような舞台を用意していただきました中日ドラゴンズ球団関係者の皆様、本当にありがとうございます。今シーズンをもちまして現役を引退します。大好きな野球を中日ドラゴンズで17年間やることができました。監督、コーチ、スタッフ、チームメイト、応援してくれたたくさんの方々の支えのおかげで、ここまでやることができました。本当にありがとうございました。
その中でも1番近くで応援してくれた家族に今日はこの場を借りてお礼を言わせていただきます。まず両親、丈夫な体に産んでいただき、好きになった野球を目一杯やらしてもらいました。本当に感謝しています。小学生の時、学校が始まる前、毎朝一緒に練習を手伝ってくれたこと、一生忘れません。ありがとうございました。そして妻、本当にいろいろ大変なことがありましたが、常に野球に集中できる環境を作ってくれて本当に感謝しています。ありがとうございました。そして子供たち、君たちの存在が自分のための野球から人のための野球に変わりました。毎朝家に出るときにパパ頑張ってね、その言葉でどれだけ頑張れたか、今度はパパが応援する番です。それぞれの目標に向かって頑張ってください。ありがとう。
最後にファンの皆様、どんな時も変わらぬご声援をいただき、試合に勝てない時、打てない時、打席に立つのが怖い時もありました。それでも声援が背中を押してくれてここまでやることができました。本当にありがとうございました。そしてまたドラゴンズにはこれからのドラゴンズを背負って立つ若い選手がたくさんいます。これまでと変わらずご声援よろしくお願いします。応援してくれた方々の期待には応えられなかったかもしれませんが、自分なりに必死になって17年間やってきました。悔いはありません。これからドラゴンズは必ず強くなります。これからもご声援よろしくお願いします。17年間本当にありがとうございました。
(堂上)まずこのような場をいただいた中日ドラゴンズ関係者の皆さん、ありがとうございます。監督、コーチ、選手、チームスタッフの皆様にも感謝申し上げます。
両親へ、丈夫な体に産んでくれてありがとう。父、小さい頃から電話でよく今日は素振りをしたか?と毎日電話がかかってきました。そこで僕も休まずに毎日素振りをした記憶があります。そのおかげでプロ野球選手になれたと思っています。ありがとう。母へ、リトルの頃から朝早くても、たくさんお弁当を作ってくれたり、ユニフォームがドロドロになってそれが1番喜んでくれました。自分は思い切って野球ができました。ありがとう。兄貴、小さい頃から背中を見続けて、いつも自分の目標でありました。最後まで気にかけてくれてありがとう。妻、嬉しい時も悲しい時もいつも1番近くで寄り添ってくれました。野球を第一に優先してくれました。子供が小さい時は本当に苦労をかけたと思います。本当に感謝しています。あなたがいなかったらここまで頑張れなかったと思います。ありがとう。2人の子供達、次はあなたたちの番です。いろんなことに挑戦してたくさん成長してください。
そして最後まで球場に残ってくださったドラゴンズファンの皆さん、17年間ありがとうございました。17年という長いようで、あっという間の日々の中、満足いくことよりも辛い悔しい時期の方が多かったと思います。しかし皆様の温かい声援がいつも背中を押してくれました。本当にありがとうございます。最後に来年の中日ドラゴンズは必ず強くなります。今若い選手がたくさんの1軍の舞台でプレーして、毎日必死になって練習をして試合をしています。来年はファンの皆さんが喜んでもらえる試合をたくさん作ってくれると思うので、今立ってるみんなの選手たちに期待してください。本日をもちまして堂上直倫は現役を引退します。17年間ありがとうございました。
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